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踊る猫の生活

acid daze are back

電通報のキャッチコピーが、電通が「ノーギャラ」で仕事を強いていると解釈されている件について

雑記

あまり時事ネタを取り上げたくないのだけれど、どうしても気になったことがあるので書いておきたい。陳腐なことしか書かないので斬新な切り口を求めている方は読まない方が時間のムダにならなくて済むのではないかと思う。

一昨日だったか、こんなツイートが拡散された。 

 

私はこのツイートはリアルタイムでは読まなかったのだけれど、たまたま電通関係のニュースを Twitter で調べていた時に電通報が問題の記事を紹介していることはリアルタイムで知った。それに関して私は次のようなツイートを書いた。

それで電通報がこのツイートを消したことが問題となっている。

togetter.com

問題のツイートに関しては、この Togetter で纏められたツイートや Togetter のコメント欄でも喧しく語られているが、電通が「ノーギャラでも」仕事をさせることを強いるように意見が誘導されている印象を受ける。だが、実際のところはどうなのだろうか。肝腎の電通報の記事を是非読まれたい。

dentsu-ho.com

この記事において重要なのは、「ノーギャラ」の下りで次のような前置きが書かれていることだ。

前提として強くお伝えたいしたいのは、ノーギャラで何かを実現することを美化しようということでは一切ありません。ギャラは大切です。何かの発注に対して、自分の仕事をし、そこに適切な評価を受け、その分のギャラを頂くこと。それは、気後れすることなく、主張していくべきです。
ひとつだけ例外があるとすれば、相手の力になりたくて、自分がどうしてもやりたいと思った時。いわば、「これはやるぞ!」と、自分が自分に発注するような時。自分がやりたいから、自腹でもやる。そういう腹のくくり方ができる時であれば、それはぜひともやるべきだと思います。当然、身銭を切るとなれば、生半可な気持ちでは取り組まなくなるでしょう。 

つまり、「ノーギャラで何かを実現することを美化しようということでは一切ありません。ギャラは大切です」と語られているのである。それに対する「例外」として自腹を切ってでも「ノーギャラ」でやることが推奨されているのだ。

むろん、この記事に対する異論・反論 はあろう。幾ら「例外」とは言え、ノーギャラでも仕事をするのは如何なものか……というように。そこまで踏み込んだ意見なら建設的だと思う。しかし、ネット上の反応ではそうなっていない印象を受ける。「電通はノーギャラで仕事を強いる」という文脈で読まれているように思われるのだ。

私は即座に次のような意見を書いた。

「既に指摘されているが、ことの発端となった文章では(その内容の賛否は分かれるだろうが)「前提として強くお伝えたいしたいのは、ノーギャラで何かを実現することを美化しようということでは一切ありません」という充分な配慮が為されている。その「配慮」の重要性を分かっていないと解釈されても仕方のない典型的なミスリードを誘うキャッチコピーを、あろうことか「広告代理店」の人間がつけてしまったことを残念に思う。「松居大悟」というハッシュタグつきで広められてしまったことで氏への印象を歪める結果になったことも残念だ」

http://togetter.com/li/1035154#c3132707

幸いなことに一定の支持を得られたようでホッとしている。

私自身の判断を述べさせて貰えれば、大元の電通報のコラム自体は意義深い/興味深いものだと思っている。だから繰り返しになるが、問題はこのような「ミスリード」が、私のような三文ブロガーならまだしもその重要性を理解していなければならないはずの「広告代理店」の「コピーライター」によって行われてしまったことだ。

従って、見事にその「ミスリード」に引っ掛かったツイッタラーが肝腎の電通報の記事を読まずに電通バッシングを繰り広げているのを見ると如何なものかと思う。いや、もちろん電通の過労死に対しては私も問題視しているが(言うまでもなく、この問題は「ブラック企業」に留まらず今の企業のあり方全体に関わるものだと思うが)、この件に関しては電通の担当者の「ミスリード」も問題だが、それに誘導されてしまっているツイッタラー(あるいははてなブックマークのコメンテーターでも良いのだが)に対しても「残念」以外の言葉が出て来ないのである。

私は綺麗事を言っているのだろうか。恐らくそうなのだろう。だが、過熱する電通への怒りがこのような「ミスリード」を引き起こし誤解を(と敢えて書く)招いている現状はいただけない。それが私の現時点での個人的見解である。

キャッチコピーは重要だ。私も気をつけなければならない。

新しいブログを作ってみました

glasnost.hatenablog.com

こちらがドーム規模でのコンサートだとしたら、あちらはもっと小さなセット/アンサンブルでやるような感じで日々の由なしごとを書き綴りたいと思います。

近江舞子さんと『ヴィジット』について対談しました

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これがその記事です。

akinosora.hatenablog.jp

近江舞子さんと『ピンポン』について対談しました

雑記

これがその記事です。

akinosora.hatenablog.jp

あと、小説なのですがまた書き始めました。

kakuyomu.jp

今日の更新はそれだけですw

橋口亮輔『恋人たち』(2015)

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恋人たち [DVD]

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群像劇である。三人の男女が登場する。妻を通り魔に殺されて以来立ち直れないでいる男、夫と反りが合わなくて不倫の恋に走る不器用な主婦、ゲイの弁護士。彼らと彼らを取り巻く「恋人たち」の姿を描いた作品となる。ほんの一瞬だけ彼らは交錯し合うが、結局は彼らは彼らの孤独を生き切ることになる。

観ていてケン・ローチの作品を想起させられたのは私だけだろうか? いや、ケン・ローチの作品のドライな風土と橋口亮輔監督のウェットな作品とは水と油ではあるのだけれど、社会問題に果敢に切り込むあたり(貧困に喘ぐ人々をこの上なく生々しく描いているところ、そういう問題から逃げないところ)に共通項を感じたのだ。このテの作品はスロースターターと相場が決まっているが、やはり伏線をバラ撒きまくる序盤は観ていて苦痛でしかなかった。だが迂闊に観てしまうと後半の怒涛の展開の感動を観逃すことになる。なんとも剣呑な作品だ。

弱点はないでもない。アップで登場人物に接近するあたりに、どうも「泣かせ」に掛かる監督の作為を感じてしまったのだった。だがそれも瑕瑾に過ぎない。力作であることは間違いがないだろう。観終えた後、それでも希望はあるし人は生きて行かなければならない、あるいは生きて行けるのだという重い真実に打ちのめされた。

最近 Filmarks に投稿したコメント

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同じキャストを使って長い時間撮り続けたその意欲は大いに買いたい。だが、その結果生まれたものは決してメリハリのあるストーリーではなく、退屈な「人生色々あるな」的なものになってしまったことを大いに惜しむ。いや、その時々のホットなトピックやアイテムを持ち出して懐かしさを喚起させようとする工夫はなかなかだと思うのだけれど、豊かに時間が過ごせた……というような感情をこちらに呼び起こさないのはレストランの店主的な存在(つまり、スジに微妙にではあるが密接に絡んで来る存在)がそんなに多くないからか。従って、観終えた後に残ったのは「やっと終わってくれた……」という溜め息だけなのだった。映像で魅せるわけではないし、これが「リアル」なのだと言われればそれまでなのだが、もっとケレン味が欲しいところ。残念! 

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

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悩んだが、相対的にそんなに点を高くつけられないのは結局のところこの作品のスジの弱さに依るものなのだろうと思う。ひと口で言えば、登場人物たちは淡い思慕を抱く。それらしい恋愛も行う。だが、そこから先がないのだ。登場人物に感情移入出来れば話はまた別なのだろうけれど、そんな風に登場人物に共感させられるほどキャラクターが描写されていないので薄っぺらい、既視感が伴うストーリーとして終わってしまっているように思う。映像は言うまでもなく優れているのでそのあたりでだいぶポイントを稼いでいるのだけれど、結果として恋愛の無常感を描いたと思われるこの話も説得力が弱い。それ以上の感想が湧かないのが正直なところである。映像に酔い痴れたい方にはオススメ出来る作品ではある。

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

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設定としてはあり得ないのだけれど、そこを辛うじて成立させているのは短編であることでそんなアラをさほど目立たせなく感じさせることに成功しているからか。とは言え『秒速5センチメートル』でも思ったことなのだけれど、雰囲気で作品を成立させているという印象は相変わらず。岩井俊二作品にも似た印象を抱いたのは私だけだろうか。映像のクオリティはバカでも分かるほど高いのだが、それ以上感動がない……登場人物たちの苦悩をもっと掘り下げて欲しかったかな、と。この映画も基本的には(多分『君の名は。』も同じだと思うんだけれど)「距離」が重要なテーマなのだろうと思う。実は近くに居たはずの人物に遠さを感じ、徐々に近づいて行くという……いやまあ恋愛ドラマなんてそんなものだと言われればそれまでだが、監督の「距離」に一貫して拘るところは興味深い。

 

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無難に良く出来た映画……それ以外の感想が浮かばないのは、この映画のメッセージ性が今ひとつはっきりしないところからも来るのだろう。家族の不仲を描いたものなのか、ひとりの女の子の成長を描いたものなのか、恋愛模様を描いているのか……といったところで美味しいところを狙い定めて描かれた脚本ではないので、結果として「なにを伝えたかったのだろう」というぼんやりとした感慨だけが残ってしまうのだった。監督の映画に対する愛情は伝わって来るし、混沌とした家族や人々の心理のすれ違いが浮き立つようにきちんと描写されているのは好ましいと思うのだけれど、結果としてそんな強引なオチに持って行くか……とちょっと唖然としてしまう作品なので評価に苦しむ。のだけれど、一応基準点に落ち着いた。

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原作は不勉強にして積んだまま未読。印象としては和製ホラー版『ゾディアック』という感じで、あらかじめ解かれるのが不可能な謎に何処まで迫れるのかというサスペンスとしての旨味がこの作品の持ち味なのだろう。つまり、ホラーとしてはラスト十分を除いて全然怖くもなんともないのだけれど、人を惹きつけて行く魅力はある……と書きたいところなのだけれど、この作品はそんなサスペンスとしての魅力だけで勝負しようとしているように思われて仕方がない。スジの持つ牽引力は認めるが、もう少し怖さを増す演出やあるいは大胆な実験が必要だったのではないかと惜しまれる。だから単調な展開が延々と続くところは(『ゾディアック』もそう感じられたので、あくまで私との「相性」の問題だと思うが)些か辟易させられた。

良いですね! 失礼ながら最初は「これじゃ『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の二番煎じだよ……」と思いながら観ていたのだけれど、まさかそういう方向に話を進めるとはと驚かされてから尻上がりに面白くなって、画面に釘づけにされてしまった。M・ナイト・シャマランストーリーテラーとしての資質が良く伺える一作だと思う。個人的にはシャマランに対しては色彩美のセンスを買っているのだけれど、本作でもどぎつい色をそこかしこで鮮やかに使い、こちらの目を楽しませてくれる。難を言えば主人公の姉と弟が両親が別離したことに対してトラウマを抱えていることがもう少し丁寧に描かれていたら……と思わなくもないのだが、そういう人間的な深味を掘り下げてしまえば軽快にこんな風にストーリーは運べないのかなと思い、そこが悩ましくなる。

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どうも園子温氏の世界は極端に振れるところがあるようで、その過剰な表現にはやや辟易しながら観ているのだけれどこの作品も例外ではなかった……もちろん 3.11 を踏まえてのプロットの変更に園監督のメッセージを感じたのだけれど、キャラクターが良く言えば個性的、悪く言えばエキセントリックなところがあるので感情移入し辛かったことで「私の」点数は相対的に低くなってしまうのだろう。園監督の不器用なまでに若者の「未来」を肯定する姿勢を私は高く買うのだけれど、結局消化不足なところもあったりストーリー的にアラが目立つ。園監督にストーリーテリングの巧さを期待してもしょうがないのは分かっているのだけれど……暴力描写は例によって良く描けているので、ファンなら素直に楽しめるのだろう。

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スジ自体は前半の仕込み段階が退屈でしょうがなかったのだが、それを補って余りあるのは川辺で二階堂ふみ氏が水と戯れる時の輝く光の美しさだろう。私は映像美を楽しむ感性をからっきし持ち合わせていないのだけれど、それでも画面から滴り落ちるような光には「見事だ……」とすっかりやられてしまった。そしてスジは後半から尻上がりに面白くなって来る。編集も深田晃司氏が自ら手掛けているらしいが、良くも悪くも素人臭さと低予算故の手作り感が感じられてそれもまた点を低める結果となってしまった。ただ、上述した光の美しさは強調しておきたい。乏しい鑑賞体験から言えば、是枝裕和海街diary』を想起してしまった。これは掘り出し物……というと失礼になるだろうが、ノーマークだった監督なので巡り会えたことを僥倖に思う。今後公開される『淵に立つ』も実に楽しみだ。

青山真治『ユリイカ EUREKA』(2001)

ユリイカ(EUREKA) [DVD]

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平穏な日常が不意に覆される。バス運転手の沢井真と田村直樹・梢の兄妹はバスジャック事件に巻き込まれる。犯人の持っている銃によって殺されるほんの一歩手前まで体験してしまった三人。沢井は二年間放浪した後に戻り工事現場で働く日々を送ることになる。その時に直樹・梢が学校にも行かずにふたりきりで過ごしていることを知り接触を試みる。ひと言も言葉を喋らないふたりと沢井は一緒に暮らすようになるが、ふたりの従兄弟の秋彦がやって来る。街では通り魔殺人事件が相次ぎ、沢井に疑いの目が向けられるようになる。直樹・梢と秋彦は沢井の買ったバスに乗ってあてのない旅に出ることになる。彼らの後を追うように通り魔殺人事件は起きる……粗くプロットを整理するとこのようになるだろう。

この映画は二度観たことがあったので三度目になる。相変わらず、描こうとされているのはロングショットと長回しによる「世界」「現実」そのもののようだ。セピア色の映像というクッションはあるにせよ、この作品のスケールの大きさは揺るがない。ネタを割ることになるが、通り魔殺人事件の真犯人が直樹であることが発覚し沢井が自首を促した後のシーンが印象的だ。何故人を殺してはいけないんだ……直樹の抱える根本的なパラドックス、すなわち死に直面した人間はそれ故に強くなれるのではなく逆に人を壊したり殺したりしては何故なのか分からないという問題を沢井も重く受け留める。

それ故、秋彦が(ちなみに、秋彦も同様な目に遭っている)直樹が一生隔離されて生きれば幸せだろうと語ったその時、沢井は秋彦を殴る(三度目の鑑賞だからか、沢井は実に頭をペコペコさせた情けないキャラクターなのに気付いた。だからこれは異例のことである)。そして、直樹が仲間として戻って来れる場所を作ることを宣言する。このあたりは本当に難しい。秋彦の言葉が正論でないと言い切れるだろうか? 人を平気で殺してしまう人間は隔離されて然るべきなのか? それに対して、沢井は単に理想をぶつけているだけではないのか? そのあたりで逡巡してしまう。これは他者に対してどれほどの「寛容」を提示出来るかという極めて重いテーマである。

最後に最後で梢が各登場人物の名前をひとりずつ叫びながら浜辺で拾った貝殻を投げ捨てるシーンが登場する。これは何を意味しているのか。私には梢が各登場人物を赦しているのではないかと考えた。世界に絶望しか持てなかった直樹とは対称的に、梢は「犯人の人」まで含めてそのあり方を許そうとしているように感じられる。この作品が傑作である理由は、恐らくそこにあるのではないかと思う。だからこその「ユリイカ」というタイトルなのではないか、と。