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踊る猫の生活

acid daze are back

一生懸命やったことは悔いが残らない

雑記

夢は小説家になることでした。その夢は結構早くて私が十四歳くらいの時には既に固まっていたと思います。自分には書くことで身を立てることしか出来ないんだ、と……。

 

それで、実際小説を書いてみるんですがこれがなかなか上手く行かない。大体公募で応募されている作品は原稿用紙二五〇枚~というのが決まりになっていますが、私は本格的に小説を書いていた頃に原稿用紙百枚以上のものを書けませんでした。佐藤亜紀さんが「百枚の壁」ということを仰ってたのを記憶しています。作家志望者は「百枚」という原稿用紙の枠組みを越えたものをなかなか書けない。努力と天運によって敗れることがある。その時にプロの作家として一歩近づくことが出来る、という論旨です。

 

今年の頭にカクヨムでコンテストがありまして、自分も書いてみたんですよ。生まれて初めての長編、つまり百枚以上のものを。結果から言えば骨折り損のくたびれ儲けで終わってしまいました。賞にはかすりもしなかったんです。

kakuyomu.jp

 

保坂和志さんみたいな世界を作ってみたかったんですけれど、保坂さんの作品は猫が居るからあれが有益な効果を生み出している、と指摘されてなるほどな、と思いました。私の作品には猫は出て来ないので。

 

それで、カクヨムで拙速に評価を求めたくてショートショートを書いてみたりしたんですね。するとどうなったかと言えば、ボロクソに言われました。句読点の打ち方から出直して来い、と。

 

ショックでした。ボロクソに言われたこと自体はショックではありません。そんなことで凹んでいたらなにも書けません。私がショックだったのは、その作品を「いやこれは良い作品だ」と身体を張って守ってやれなかったことです。作者が作品を守れない。そんな作品に存在価値などあるのでしょうか。

 

それで、ひとつだけこの挫折経験から学びました。それは、『近未来』も結構ボロクソに言われたのですが不思議と傷はつかなかったです。全身全霊を掛けて打ち込んだからなのでしょう。

教訓として、一生懸命やったことは、酷評されても、結果がダメでも、悔いは残らないものなのだな、と思いました。傷つかないようにしてヘラヘラ笑いながらやったことや、あるいは拙速に評価を求めて安直になにかを書いてしまう(手を抜いてしまう)ことは、それで傷がつかないのかと言えば逆なのです。むしろ、傷つかないように、スマートに要領良くやろうとしたことは傷がつきます。悔いが残るのです。


裏返せば全力を尽くしてやったことは、「全力を出した」「やれるだけのことをやった」という「やり切った」実感が自分を支えてくれます。ですので傷はつかないし後悔も残らないのです。後味は爽やかです。負けて悔いなし。そう心の底から思えるようになります。

 

そういう意味で、これからはもう小説は書きませんがw 日々を全力を尽くして生きようと思います。これからもよろしくお願いします。

 

Netflix火花お題「夢と挫折」

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